DAI-SONのアレやコレやソレ

創作ライトノベル、「ハーミット」「愚者の弾丸」「ハーミット2」を掲載。更新停止中です。

透明ナイフ

「ちょっと、聞いてくださいな!」
女は、事務所に響き渡る大きな声を出し、唾を飛ばす。
「最近帰りが遅いと思って尾行してみたんですよ。そうしたら、ほら!知らない女と二人で歩いているんです!」
大袈裟に写真を突き出された探偵は、タブレット端末から目線を上げる。
ふ、と短めのため息で一蹴すると、またタブレットに指を走らせる。
「これは浮気の決定的証拠です!」
捲し立ててくる女に対し、探偵は無言でタブレットの画面を返してやった。
女の態度は急変し、唇を震わせつつも、何も次の台詞を出せずに青ざめた。
「旦那さんはシロです。むしろ、クロだったのはあなたでした。他人の事を疑う前に、自分の疑わしき行動を見つめ直してください。」
「クソ!役立たずめ!」
捨て台詞を吐いて、当たり前のように帰ろうとしたので、
「勘定がまだなんですが?」
と、クリアファイルを手渡しながら引き止めた。
「この中に領収書が入っているので、サインと代金をお願いします。」

舞住クレナ───女ながらに探偵をやっている。
探偵の仕事は、浮気調査か家族探しがほとんどだ。
基本的に、捜すことに正統性の無い依頼は受けられない業界のため、自ずと仕事内容も限られてきてしまうのだ。
しかし、彼女には、普通の探偵がやっていない仕事がある。
今回の事件もまた、そのひとつである。

**

舞住探偵事務所のドアが激しく開かれる音がした。
「……」
ここに来る客は大体アタマに血が上っているため、取り分け珍しいことでもない。
だが、大きな音をたてた張本人を見ると、彼女はすぐさま煙草の火を消した。
「どうした?キミ、こんなところに来て。」
訪問者は女の子だった。
制服は近隣の高校生のセーラーなので、未成年だと一目でわかった。
女の子はえずき、涙ぐみながら、訴えかけてきた。
「ここ、変な事件も追ってるんですよね、オカルト的な……」
震える声で、絞り出されたそれは、憔悴しきっていた。
クレナは静かに頷くと、壁に立て掛けられていたパイプ椅子に少女を座らせ、電気ポットから白湯を出して、手に持たせた。
「そんな状態でよく頑張ったな。ゆっくり話してくれていいぞ。」
少女は返事もせず、持たされた白湯の水面に映る自分の顔と向き合っているようだった。
しばしの静寂を経て、深呼吸をひとつ挟み、やっとの思いで言葉を出し始めた。
「"透明ナイフ"って知ってます?」
「ああ。」
───"透明ナイフ"
この街の隣の最凝町で起きた連続殺人の模倣犯とされる、連続刺殺事件である。
その事件の最大の特徴が、"凶器の矛盾"である。
死体の側には必ず、自己顕示するかのように、血のついた凶器が置き去りにされている。
金属バット、とんかち、コンクリートブロックなど……
しかし、遺体の外傷は、"刺し傷"のみで、死因もそれによる多量出血。
ここ2ヶ月に及ぶこの事件は、ニュースでも大きく取り上げられており、知らない人などいない。
「私の近所に住んでいる、高田さんが、今回の被害者なんです。それで、私は第一発見者。」
「それは……災難だったな。」
少女は俯いたまま頷く。
「さっきまで、警察のところに居たんです。遺体の状況を事細かに説明させられたので、ちゃんと思い出すのが辛かったです。」
「お疲れさま、だな。しかし、それとオカルトとどう関係がある?」
「そ、それは、今回だけ"凶器を置いていかなかったから"からです。」
「なんだって?」
「それどころか、殺し方が全然違うんです!え、えと、いつもはひと突きで刺殺していますよね?でも、こ、今回は……今回は……」
言いかけて、少女が口をおさえたので、咄嗟に近くにあったポリ袋を広げた。
その中には未開封のタバコも入っていたが、気にしている場合ではなかった。
だが、少女の胃の中にはもう吐き出すものが残っていなかったようで、えづき、咳き込み、それで終わった。
「落ち着いて、落ち着いて話してくれ。無理しなくていいぞ。」
クレナは、声をかけながら、背中を優しく擦った。
「ありがとうございます……。でも、伝えなくちゃならないって思って……」
そうだ。殺し方が変わったことなど、すぐにニュースに取り上げられるはずだ。
どこか異常な遺体を見た、と言うことだ。
「今回の遺体は"内側から切られていた"んです!」
「な……ッ!どうしてそう思う?」
「傷の見た目から、"骨が内側から肉を切り裂いていた"……でも、警察の人は"切り裂かれたあとに引きずり出された"って言うんです!絶対おかしいですよ!絶対に!」
伝えたいことを伝え、緊張の糸がほどけたのか、少女は泣き出してしまった。
「挙げ句の果てに、"凶器がないから透明ナイフとは関係ない"とまで言い始めるんですよ!犯人は絶対同じです!あんな……あんな殺し方するなんて……!」
「よしよし。わかったよ。私がちゃんと調べてあげるから。名前と連絡先を教えてくれるかな?」
「ウメ……花咲ウメ……と言います。高校二年生です。何かわかったら……お願いします。」
少女……ウメは腫れた目を拭い、一礼して去っていった。

**

「ウメ、どうだった?」
「あ、ドドちゃん。来てたんだ。」
舞住探偵事務所の外で、ウメの同級生の百々迷秋深(どどめいあきみ)が迎えに来てくれていた。
秋深はウメに缶コーヒーを投げて渡す。
「わあっ!もう。私、ブラックコーヒー飲めないんだけど。」
「悪い悪い。スーパーで安かったからさ。あと、これも。」
秋深はしとりと笑うと、今度はメロンパンを投げて寄越した。
キャンペーンのポイントがついたシールを巻き込んで、でかでかと半額シールが貼られている。
「今日中に食べろよ」
「……でも」
「わかってるよ。それでも、ね。」
暖かい気遣いに、くしゃくしゃに泣いていた顔もほころんだ。
「今日は送っていくよ。」
「ごめんね、気を使わせちゃって。」
「いいって。これ以上ウメが不幸になるところ、見たくないだけだから。」
秋深はウメの手を引いて歩かせる。
「私はウメの幸せだけを願ってるから」

**

翌日、クレナは朝からノートパソコンにかじりついていた。
「花咲ウメ……やっぱり。聞き覚えがあると思ってたんだ。」
過去の浮気調査の記録を片っ端から遡り、ようやくその名を呼び起こした。
依頼者は高田琵琶(たかだびわ)。
今回殺された高田公彦(たかだきみひこ)の妻である。
この公彦という男は、数ある浮気調査の中でも、比較的多いホコリを出した男だ。
かなりの中高生を買春していて、件数が増えていく度に、奥さんが気の毒になったことを覚えている。
そして、決定的証拠をあげたときの買春相手が、件の少女、花咲ウメその娘である。
この事情を素直に解釈するならば、犯人は絞られる。
警察だって同じ結論にたどり着いて、聴取も行っているだろうが、念押しで二人の容疑者のもとへ向かった。

**

「はい……警察の方ですか?」
「いえ、舞住探偵事務所です。」
まずは一人目、高田琵琶。
先程も説明した通り、高田公彦の妻である。
「……ああ、クレナさんですね。立ち話も難なのであがってゆっくりお話ししましょう。」
探偵という職種は、警察と連携出来るときと出来ないときがある。
もちろん、圧倒的に後者の方が多く、まして、オカルト……超能力の絡んだ事件に精通しているこの女めに至っては、こういった訪問で門前払いを食らうことが多い。
しかし、一度成果をあげた相手に対しては厚い信頼を得られるというのが、この職種の強みである。
茶の間に招かれ、熱い緑茶を出される。
「お気遣いなく」
クレナはお決まりの社交辞令を言って、席につく。
「先程、警察で取り調べを受けてきた所です。」
「申し訳有りません。お疲れでしょうに。」
「いいえ、いいんですよ。夫を殺した犯人さえ見つかれば。」
「それは、疑われている動機を知っての発言ですよね?」
「もちろんです。警察よりも、あなたが一番私の事を疑うと思っていました。」
「では、あなたの方も何か言いたいことがある、ということですか?」
「いえ……もし、警察だけの力で犯人を見つけられなかったらどうしようかと思って、クレナさんにも捜査を依頼しようと。」
これはシロだな、とクレナは感じた。
犯人がわざわざ自分が不利になる環境を作るわけがない。
証拠はない。ただの勘だ。
しかし、もうクレナの脳裏では、高田琵琶は容疑者から外れていた。
「依頼されなくても捜しますよ。そのために来たんですから。」
「はい、そうですよね。でも、これだけは信じて欲しいんです。たとえどんなにひどい不倫をされても、それで愛が尽きていようとも、人の死を喜ぶような人間に、人を憎む権利などあり得ないと思います。」

**

「次は隣の隣だね」
二人目の容疑者は、ウメの母親、花咲松江(はなさきまつえ)。
「未亡人のシングルマザーか……」
クレナは自分とダブらせて、亡き夫と、家出してしまったの娘の顔を脳裏に浮かべた。
「もし、私の娘も売春なんてやってたら……ハハ、考えたくもない。」
ひとつため息をついてインターホンを押す。
二度ほど居留守を使われたが、三度目の正直で、受話器を取ってくれたようだ。
「なんですか?」
案の定、気が立っているようだった。
話を聞くと、彼女も高田琵琶と同様に、事情聴取を受けていたようだ。
「……って感じ。もう私にも、娘にも関わらないでほしいって思ってたのに、あんな死に方されちゃあね……」
最初は無視した割に、話し始めると、わりと一方的に話してきた。
とりとめなく思い付いた順に話をしてくるせいで理解するのに苦労したが、要するに犯行推定時刻に別の事をしていたと強調しているようだった。
「……だから。私が犯人だっていうのはあり得ないの。」
「なるほどね。」
長い話になっていたので、クレナは壁に凭れて返事をした。
「じゃあ……私からも質問していいかしら?」
「構いませんよ」
とうとう相手の質問タイムに入り、いい加減、ここまできたら家にあげてくれてもいいのに、と半ば呆れる。
「何故、この殺人事件に探偵である貴女が関わっているわけ?」
「ああ、言っておくべきでした。この事件について伝えに来たのは、あなたの娘さんなんです。」
捲し立てて話をしていた松江も、この時ばかりは言葉をつまらせ、動揺を見せた。
「……何ですって?」
「あなたの娘さんが、元売春相手が殺されたと、私の元に相談に来た……と言うことは、ここへ来たのは単なる答え合わせです。」
「それはどういうこと?」
「私と娘さんは、殺害方法の異常性と異質性から、この事件を"透明ナイフ"の続きと考えています。それを前提とすると、以前の事件のアリバイがあれば、今回の事件のアリバイに信憑性が出てくるというものです。」
「……わかりました。では、全て伝えますね。」
クレナは同時に、チャットアプリでウメと連絡を取った。
アリバイは勤務か自宅滞在のどちらかに限られるから、ウメにも同時に同じ質問をすることで、答え合わせができる。
勤務先のアリバイは、タイムカードによってウソが直ぐにバレるので、裏付けを取る必要すらない。
「……全部シロですね。あなたの犯行は不可能でしょう。」
「当然よ。」
インターホン越しに、互いにため息をつく。
「用はもう無いかしら?」
「あ、もうひとつだけ」
「はあ…………なに?手短に。」
「遺体を発見した時の娘さんの様子はどうでした?」
「……そうね。"なんで高田さんまで"……って言って崩れ落ちてたわ。」
「なるほど。貴重な証言、ありがとうございます。」
「はい。それでは。」
はあ、やっと終わった、と幻聴を感じるくらいに、乱暴に受話器を置かれた。
「"なんで高田さんまで"……か」
その一言が手に入っただけで、この聞き込みは無駄ではなかったと確信した。

**

ウメは非常に息苦しかった。
売春がバレてから、母親との会話はほとんどしていない。
幼い頃に父親を亡くし、兄弟姉妹も居ないというのに、たった一人の家族と気まずくなってしまった。
そして、そんな彼女の生き辛さに拍車をかけたのが、"透明ナイフ"だった。
この事件が始まってから、彼女の周りに死の臭いが漂うようになったのだ。
高田公彦を含め、これまで5件の殺人が起きている。
1件目は大学サークルで起きた"皆殺しのナイフ"。
2件目はコンビニ店員が殺された"黒きナイフ"。
3件目は野球部員が殺された"デッドバットナイフ"
4件目は大学教諭が殺された"四角いナイフ"
そして、今回の"正体不明のナイフ"
いずれの人物にも共通点がある。
それは、ウメと"シたことがある"人間たちだ。
関わった人が死んで行く、ということは、監視されている恐怖もあると言うことだ。
食事もろくに喉を通らず、授業の内容も入ってこない。
悪夢を見ながら夢遊しているような、それならばまだよかったと思えるような、ふらふらとした感覚に襲われ続けている。
「顔色悪いね、大丈夫?」
そんな彼女を心配して、秋深は声をかける。
「ありがとう」
ウメは弱々しく返す。
彼女がいてくれるから、まだ生きていられる。
そう思いつつも、ウメはまだ足りない、と何処かに父親の影を求め続けていた。

**

「とんだクソビッチだな。産まれ持ってのアバズレだ。」
"透明ナイフ"の被害者とウメとの関連性を調べたクレナは、手で口を覆いながら呟いた。
しかし、情報がこれだけでは、新たな容疑者を擁立することができない。
普通に考えると、ウメと関係をもった男性が一人くらいは生き残り、自ずとそれが容疑者となるものだ。
しかし、全滅。全員死んでいるのだ。
動機を持つ人間が生き残っていないのだ。
逆に、これ以上視野を広げると、容疑者が増えすぎる上に、動機もこじつけレベルで探さなくてはならなくなる。かくなる上は……
「やはり、足で稼ぐしかあるまい。」
張り込み、監視……探偵家業はそれに尽きる。

**

ウメを尾行することにしたクレナだったが、学生は普段相手にしないため、昼間……学校での監視が出来ないことをうっかり想定しておらず、調査の進捗を遅らせた。
当のウメ本人は、学校と自宅をふらふらと登下校するだけで、ろくに寄り道もしないため、ますます容疑者が見つけられない。
そうやって手をこまねいていたせいで、事態は最悪の展開を迎えた。
とうとう、"校内で"殺人が起きたのだ。
「タケルくんが……タケルくんが殺された……!」
ウメからは直ぐに電話がかかってきた。
やはり、ウメとの関わりがある男子のようだ。
「そのタケルとキミはどういう関係だったんだ?」
「ただ、ただ昨日、私の事を励ましてくれて、ハグしてくれただけなの……それなのに……!」
そのハグが、単なる抱きつきなのか、"抱かれた"のかは疑問だったが、犯人が過激さを増していることだけは理解できた。
「今回も……凶器は"骨"っぽいです……」
震える声で教えてくれた。
なるほど、とクレナは無言で相づちを打つ。
犯人は、今までのこだわりを捨てるほど"焦っている"し、"躍起になっている"。
今までよりも浅い関係、早い段階からターゲットを知り、犯行に及んでいる。
それならば、犯人像は絞られてくる。
「花咲ウメ、あなたの事を、親の次に近くで見ているのは誰?」
「それは……」

**

「ウメ、ウメってば」
秋深はウメが手に持っていたスマホを腕ごと横にずらす。
「お昼、結局なにも食べなかったでしょ。」
今日も気づけば、他の生徒が下校した教室で、ぼうっとしていた。
脳を動かすと、どうしても凄惨な遺体がフラッシュバックする。
「私、どうすればいいかわからないよ。」
また、泣いた。
最近のウメは、考えることをやめては泣くことの繰り返しだった。
「私の周りにいる人、みんな死んじゃうの。私はただ、誰かに守られていたいって、見守られていたいって思うだけなのに……」
秋深は白いハンカチを取りだし、ウメの涙をそっと拭う。
「大丈夫。私がいるから。私のそばにいれば、自分を傷つける必要なんて無いんだ……」
「ごめんね、心配ばっかりかけて……」
「いいんだよ。だから、これ以上汚れないで。」
「それってどういう……」
なにか、会話が噛み合っていない気がした。
「気にすることないよ、私と一緒にいてくれれば、それだけでいい。」
「私は汚れてなんかいないよ?ねぇ。」
「嘘吐かないで。どうして自分に嘘吐くの?」
「え……」
ずっと優しい顔をしていた秋深の表情が曇った。
「ウメの自傷行為を私は知ってる。ウメのお父さんが死んでから、ウメはずっと自分を汚してきた。」
「なに……言ってるの……?」
「ウメは年上の男の人たちに、無差別にお父さんの影を重ねて、抱かれて、だけど心の傷は癒えなくて、それどころかまた傷ついていることさえも知らずに求めて、それを繰り返してすり減ってるんだ。」
「ちっ、違う……」
秋深はいびつに笑う。
「知ってるんだよ?ずっと見てきたもん。ウメがどんなときに、どんな気持ちで何してるかちゃんと見てるから。ずっとウメだけを見てきたんだから。私は赦せない。ウメが一人で悩んで、一人で傷ついていって、それを見ていることしかできなかった私が赦せない。」
ウメは身の毛がよだった。
予感……それも、とびきり最悪な、イヤな予感。
「だから、私はウメの自傷を止めようと思ったんだ。どんな手を使っても。たとえ私がウメの事を傷つけてしまったとしても。他の誰かを傷つけてしまったとしても。」
殺される、と感じた。
「そんな顔しないで。私が守るから……」
「い……嫌……」
椅子から転げ落ちるように、逃げ出すウメ。
「怖がらせてごめんね。でも、ウメが幸せになってくれればそれでいいの。私はウメが自分に嘘を吐かず、自分を傷つけず、自分を汚さない未来さえあればそれでいい。ウメがかわいそうじゃない未来さえあればそれだけでいいの。」
助けを、助けを求めなければ。
正体不明の"透明ナイフ"から逃れるために。
彼女の一番近くで、彼女の日常を引き裂いていた、恐ろしい怪物から、生きて逃げ延びるために。
「外に出なくちゃ……外に出ればクレナさんを呼べる……!」
上履きのまま、ふらつく足で正面玄関を飛び出そうとする。
その瞬間、目の前に秋深が落ちてきた。
秋深の膝から下は、靴や靴下と一体化した一対の刃物となり、音をたててアスファルトに突き刺さる。
「危ない危ない。ウメの脳天に突き刺さるところだったね。そんなことがあったら、後悔で夜も眠れなくなっちゃうよ。」
今、目の前に突き立てられた刃。
これが、恐怖の"透明ナイフ"の正体。
物質を硬化させ、刃物に変えてしまう超能力。
ウメは足がすくんでへたり込んでしまった。
走ったから息があがっているのか、過呼吸かさえもわからず、全身から冷や汗が止まらない。
「ああ可哀想……可哀想なウメ。私が守らなくちゃ。私が側に居てあげなくちゃ。」

「だから逃げないでよ。」

ウメは動けなくなる。
物質だけでなく、威圧感さえ刃物にして突き立てられるのではないかと思うほどの空気。
刹那、それを引き裂くように秋深に脚払いを仕掛ける人影が一人。
刃物と化した固い脚部に攻撃するなど愚かな選択だ。
しかし、陽炎が舞うと、脚の先端を折られた秋深が倒れた。
「……お前!探偵か!?」
ウメに向けていた笑顔からは想像も出来ないような、剥き出しの敵意を放つ秋深。
「よくわかったな。」
「お前も超能力者だったのかよ!クソが!」
ウメには何も見えていない。
ただ、陽炎が揺れているだけだ。
しかし、秋深の目には、クレナの脚を覆う炎が映っていた。
「百々迷秋深、お前が"透明ナイフ"だな?」
「バレたからには、お前も次の被害者にならなくちゃいけないって訳だ。」
秋深の指がイビツに伸び、刃物と化す。
「やめときな。ウメの事を想うなら。」
「お前がウメの心を語るなァァあ!」
秋深はクレナに一直線に飛びかかる。
クレナはそれに対して、ハイキックで応じる。
しかし、早すぎたカウンターは空を切り、炎だけが宙に残った。
ウメは、最悪の結末を予期し、両目をぎゅっと閉じた。
「なっ……!?」
だが、驚いたのは秋深の方だった。
クレナは引っ掻かれ、引き裂かれるはずだったが、無傷だった。
「お、お前ッ!何をしたんだ!?」
「お前の能力を"焦がした"のさ。」
炎は秋深の刃の上を這う。
「私の炎は能力"だけ"を焦がして威力を弱める事もできる。だから、お前には一生私を切り裂くことはできない。」
「黙れ!たとえ私が無力だろうが、ウメの幸せな未来を守るのは私だ!」
アスファルトが隆起し、刃物に変わる。
それは急かされるようにクレナの方へ伸びて行くが、炎を浴びたそれらを、クレナは蹴りで砕いていく。
どんなに刃物を作っても、飴細工のように砕かれていく。
「もうやめてッ!」
ウメは、今できる全力で声を絞り出した。
「クレナさんが私に何をしたって言うの?」
「私がウメの未来を守ることを否定した!たから、ウメを脅かす奴なんだ!こいつも!」
鋭い脚と、燃える脚がぶつかり合う。
その度に、秋深の脚は刃を砕かれる。
「違うよ!むしろ親身になってくれた!私の不安に耳を傾けてくれた……」
「だけど、それじゃウメは自傷をやめてくれない!コイツにはそういった根本的なことがわかってないんだ!ウメの心への理解度がド素人!平凡で汎用なその場しのぎの励まししかしないペテン師だ!」
「だったらドドちゃんだってそうだよ!私のせいでドドちゃんが人殺しになったって知ったら、幸せになんてなれないよ!」
「そんな!ウメのせいじゃない!ウメは悪くない!私が決めて、私がしたこと!」
「だったら尚更だよ……。そんな血にまみれた幸せを、友達から貰うなんて出来ないよ……。」
秋深は脚をアスファルトに突き立て、肩で息をする。
「なんで……」
秋深がうずくまると、ミシミシと音をたてて、骨を隆起させ始めた。
「やめろッ!そんなことしたら、お前の体が壊れてしまう!」
「なんで私はウメを幸せに出来ないんだーーーーーッ!」
身体中の骨と言う骨が、硬化した皮膚を巻き込んで、刺々しく隆起している。
その身体がひとつの凶器。
己そのものが刃。
夕陽に伸ばされた影法師はヒトのそれを逸していた。
「夢なら覚めて……」
ウメは気を失って倒れてしまった。
もう、百々迷秋深、彼女に届く声は無くなってしまった。
秋深は獣のように吠えた。
空を裂く鈍い音が、クレナのもとへやってくる。
隆起して質量が増した腕は、もはや切れ味を削いだ程度じゃ無力化できない。
元来、剣は鎧を砕くための、長い金属の棒だったとされる。
斬馬刀と呼ばれる武器に至っては、騎乗して使う、巨大な鉄の板だった。
振り回されるそれは、まさにその再現。
当たれば潰されてしまうことは間違いなく、かわす度に地面がえぐれ、力を誇示する。
「時に百々迷秋深、超能力とは、持ち主の心を映すとされている。」
「だったら何だァ‼」
クレナは攻撃をかわしながら、秋深の視線を、玄関の窓ガラスに誘導していた。
「幸福の使者にしては、ひどく醜いな。」
「だ、黙れ!」
秋深が腕で振り払う仕草をすると、ブン、と鈍い音がする。
「そんな手じゃ、ウメが倒れても支えてやれないな。」
秋深は自分の腕と、ぼろ雑巾みたいに横たわるウメの姿を見比べた。
「お前は、自分の手でウメを幸せにしてやれないと悔いた……なら、そんな心の形じゃいけないんじゃないか?」
「あ……あぁ……」
秋深は涙を流し、ガタガタと歯をならした。
「私は、私はこんなやり方でしか、ウメを守れないんだーーーーー!」
腕を振りかざす秋深に対し、クレナは素早く跳躍し、頭に踵落としを食らわせた。
すると、秋深はあっさり体制を崩して、倒れてしまった。
「やはり、顔面までは硬化させてはいなかったな。」
秋深はぐったりとして、呻き声をあげた。
身体を無茶苦茶に変質させた痛みが、今さら押し寄せてきたのだ。
「まだ、ヒトでいられてよかったな。頭まで醜い刃に変えてしまったら、その時が、本当にウメになにもしてやれなくなる瞬間だ。」

**

「今回は……その……ありがとうございました。」
ウメは舞住探偵事務所に挨拶しに来ていた。
超能力犯罪の捜査は、依頼というわけではないので、解決したあとにわざわざ会う必要など無いのたが、わざわざ律儀に脚を運んだようだ。
「コーヒーでも飲むか?」
「いえ……コーヒーは苦手なので」
「ああ、そうか。そいつは申し訳ない。」
クレナは、彼女がどういう生き方をしてきたかを、断片的に知ってしまっているため、少しぎこちなくなる。
「あ、あのぅ」
「な、なんだ?」
正直、居にくいので帰って欲しいと思ったが、本題はここからのようだった。
「こんなことを私が聞くのもおかしいですけど……どうしてオカルト探偵なんてやってるんですか?」
当然と言えば当然の疑問。
超能力で戦う探偵の素性は気になるところだろう。
「……復讐のため、かな。」
「……え」
「私は、夫を殺した炎の超能力者を探している。」
「だから、人の噂をよく聞ける立場になったんですね。」 
「そうだ。」
馬鹿正直に話した自分を、ふ、と嘲笑し、自分の分のコーヒーだけを淹れ、椅子に座った。
「用は済んだか?」
こんな少女に自分語りをするのも馬鹿馬鹿しいと、ぶっきらぼうに返事をする。
「それで……会ったらどうするんですか?」
「……さあな。少なくとも、額から血が出るまでは土下座させるよ。」
「優しいんですね。私なら殺してしまいたいと考えると思います。」
「秋深と私を比べているのか?」
ウメは沈黙の肯定をする。
「まあ、確かに、ある種では秋深と私はそう変わりはないしな。大切な人を傷つけられた怒りを原動力に生きている……。」
「ドドちゃんはこれからどうなってしまうんですか?」
「さあ……施設に行って、少年院に留置されるんだろうが、キミが聞いているのはそういう事じゃないだろう。」
「ちゃんと、その……ちゃんとできますかね?」
「私も彼女も、誰かの罪を……欲のままに人を傷つけた罪を裁こうとしている。それならば、その行動に恥じぬ自分であるために、自分と向き合い、克服していこうともがくだろう。私がそうであるように。」
クレナは事務所の窓を開け放つ。
「ヤニ臭くてごめんね。私、ちょいワルおばさんだから。」
二人が小さく笑うと、玄関ドアをノックする音がする。
「おっと、仕事みたいだ。今日はこの辺で。」
「はい。色々ありがとうございます。」
玄関が勢いよく開かれると、通り道を見付けた風が走り抜ける。
その風の吹くままに、ウメは舞住探偵事務所をあとにした。
百々迷秋深と花咲ウメ……
彼女らが今後上手く行き、本当の意味で"透明ナイフ"事件が解決することを、心の底で祈った。